島村英紀が撮っていたカメラ
その4:続編:カメラの底辺。大衆化で生き残りを図ったメーカーの苦闘。


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1-1:ビッグミニで当てたコニカも巻き込まれた低価格の消耗戦、K-mini。

1989年に発売した「ビッグミニ」がベストセラーになり、うまくあてた
コニカにとって、じつは、まだ問題が残っていた。ひとつのベストセラーには安住できず、つねに追走者に追われ、仁義なき戦いを強いられる日本のメーカー間の争いを続けなければならないことだった。

ビッグミニの後を追って、同じようなカメラが他のメーカーからもつぎつぎに出てきて、それらはサイズ的にもビッグミニの横幅117×高さ63×奥行き36mm、重量 195gという当時、世界最小、最軽量のビッグミニと遜色のないもので、価格も、ビッグミニの37000円よりも安かった。

後から追いかけて、同じようなものを安く作って先駆者を追い落とすのは、カメラに限らず、日本のメーカーがもっとも得意とするところなのである。もっともこの得意技は、ちかごろは韓国や中国のメーカーの得意技にもなってしまっている。

一方、「下」からは使い捨てカメラが迫ってきていた。性能はもちろん劣っていたが、大衆のほとんどの需要には十分であったうえに、1000円、あるいは実売価格ではそれ以下という安い値段を武器に、販路を拡大してきていたのであった。

ちなみに、フジ、コニカ、コダックなどの使い捨てカメラメーカーは「使い捨て」という名称を嫌って「使い切りカメラ」と言えという。しかし、先行したフジが、使い捨てカメラを現像したあと、大量の一般ゴミとしてリサイクルもせずにカメラの残骸を捨てて各地の自治体のゴミ処理に負担をかけたように、メーカーが作って売る意識としては、あきらかに「使い捨て」であった。

高級機を作っても、数が売れるわけではない。しかも、かつてコニカVを作っていたころのコニカ(当時は小西六写真工業)のブランドイメージは、もうなかった。かくて、コニカは、使い捨てカメラと既存のカメラとの間の隙間を狙うことになったのである。いまでいうニッチだ。

このカメラはコニカ K-mini。発売年は1995年。価格は7300円という、35mmカメラとしては破格の安値であった。ビッグミニの1/5である。

サイズは108×60×32mm、重さは約135グラム(電池とフィルムを含まず)と大きさと重さはビッグミニなみだった。しかし、オートフォーカスはなく、固定焦点のレンズ、KONICA 28mm F6.7であった。電池はリチウム電池CR123A(またはDL123A) 1個をフィルムの巻き上げや巻き戻し、ストロボに使っている

このカメラの最大の特徴は、28mmという、一昔前は超広角だったレンズを採用したことと、フィルム面を湾曲させて、レンズの像面歪曲を物理的に補正したことだった。

レンズの設計上、いろいろな収差を全部取り去るのはきわめてむつかしい。ある収差を減らせば、一般には他の収差が増えてしまう。このため、高級なレンズは、屈折率がちがう単体のレンズを何枚も組み合わせて、いろいろな収差が少なくなるような設計をしている。また、なかには球面の一部ではなくて、非球面に研磨したレンズを使うことさえもある。また、近年はガラスのレンズを非球面に研磨するのではなく、ガラスモールドやプラスチックレンズなど、一挙に整形して作る非球面レンズも多用されるようになった。

しかし、いずれにせよ、これらの高級レンズは当然、高価になる。また、構成レンズの枚数が増えれば、ゴーストやフレアが出やすくなる。

じつはフィルム面を湾曲させたのは、このカメラが最初ではない。もっとも小型でもっとも精巧なカメラだったミノックスは初代である1936年発売の「リガモデル」から、このフィルム面の湾曲を採用した。このためトリプレットというわずか3枚構成のレンズで、当時としては考えられないほどの描写が可能になっていた。

また、フィルム面を湾曲させることは1950年代にはフジフイルムもフジペットというカメラに採用した。1957年に発売した初心者向けのカメラで、ブローニー判フィルムを使う低価格のオモチャカメラだった。当時の定価は1950円だった。しかし、レンズはf11の単玉(一枚だけのレンズ)で性能もあまりに悪く、所詮、ちゃんとした写真を撮るカメラではなかった。このほか、レンズが垂直軸のまわりを回転するパノラマカメラでも、この仕組みが使われたことがある。

このKONICA 28mm レンズは、ミノックスと同じく3枚構成のレンズだった。28mmで3枚構成という少なさは、他に例がない、これは像面歪曲を許すことによって、はじめて可能になったものだ。結果として、解像力も、被写体の湾曲も満足でき、レンズ枚数が少ないことから逆光時のフレアやゴーストも少ないカメラになっている。超広角レンズにありがちな像の歪曲も少ない。安物のカメラでも、コニカの看板が泣くようなものは作りたくなかったのであろう。

ちなみに、近頃のデジカメでは、像の歪曲をカメラの内部にある映像エンジンで修正してしまうものもある。また、撮影後でも、画像ソフトで修正するのは簡単だ。レンズの収差のうちでも、こうして簡単にデジタル修正が出来るものがあり、それをレンズ設計時に許すことによって、レンズの設計の自由度が、昔よりもずっと広まったのである。

ところで、世界でも初期のころ、もっとも有名な28mmレンズは、ライカが1935年に発売した名レンズ、 ヘクトール28mm F6.3だった。60年後に発売になったこのコニカのレンズの仕様にごく近いのはおもしろい。このレンズは3群5枚のレンズ構成で、50mmレンズが普通で、35mmレンズが広角だった当時としては、とびぬけて広角だった76度もの画角を誇った。

しかし、このコニカ K-mini は、コストダウンのためにオートフォーカスを省略して、固定焦点にした。被写体までの距離が約1.5mのところで固定してある。カメラの生産も中国である。

そのツケで、どうしてもぼろが出てしまった。それは焦点深度だった。絞りがあればまだしも、絞りは固定で、露出はシャッター速度だけを変えて調節する仕組みだったから、たとえ明るいところでも、景色などの遠景には十分のピントが合わなかったのであった。

メーカーの公称値は「0.9m〜∞」にピントが合う、ということだったが、実際には、サービスサイズにしか引き伸ばさないのならともかく、もっと大伸ばしだと、遠景はピンぼけになってしまうという欠点があった。人物を撮るのが中心にちがいない大衆カメラにはこれで十分、と割り切ったのであろう。

露出はファインダー横にあるセンサー(ごく小さな丸い穴の中にある)による自動露出で、フィルムの感度はISO100、200または400のフィルムのパトローネにある識別信号を読みとる自動設定だった。途中巻き戻し機構はない。

フラッシュ撮影範囲は、ISO 100フィルムで0.9〜2.3m、ISO 400フィルムで0.9〜4.6mとの公称だった。なお、ストロボは自動発光だから、暗いところではいつも光ってしまう。このカメラに限らず、この自動発光のせいで、それまで撮影が自由だった外国の美術館や博物館に多大の迷惑をかけて、撮影が全面禁止になってしまったところもある。罪なことだ。

大衆受けするために、カメラのボディーカラーは、黒、赤、青の三色から選べた。かなり毒々しい色だ。しかし、この種の大衆化路線は、所詮、カメラメーカーにとって利幅も薄い消耗戦であった。特色と歴史こそあったが、大量生産メーカーにはなれなかったコニカにとっては、のちにミノルタと合併せざるを得なくなっていく、転落の軌跡をたどることになった一歩なのであった。(そして合併したコニカミノルタも、ソニーの傘下に入ることになった。離合集散が激しいのである)。

なお、このコニカのカメラは、私の知人の雑誌デザイナー、松村泰雄氏から2008年にいただいたものだ。


1-2:ニコンがこっそり外国で売っていたが、日本では売らなかった安物の大衆カメラ、RF10。

この種の低価格カメラの競争は、じつはもっと前にさかのぼる。高級カメラメーカーを自任していたニコン Nikon も、1960年代以降、何度も、大衆カメラ市場に参入しようとして、武士の商法で失敗を重ねてきていた。

これは1992年に出したニコン Nikon RF10。赤外線オートフォーカス、なんの変哲もないカメラだ。ニコンが作って売らなければならない、なんの必然性も特長もない大衆カメラである。しかし、これがニコンにとって最初の、オートフォーカス、自動露出の小型コンパクトカメラであった。

ニコンは、これを日本では売らなかった。高級カメラメーカーとしてのイメージを損ねるにちがいないし、他のカメラメーカーのカメラにくらべて、勝ち目のないカメラだったからだろう。売ったのは米国と欧州に限られていた。米国では「Smile-Taker」という名前で売られていた。たったひとつニコンらしいのが、高級一眼レフにもあるような赤い線だというのも、なにか哀しい。

レンズの焦点距離は34mmという半端なもの。明るさは F4.5。単3電池2本をオートフォーカスのほか、フィルムの巻き上げや巻き戻し、ストロボに使っている。単3電池だから、上のコニカ K-mini よりは、どの国でも入手しやすいのは取り柄だ。

重さは約240グラム。製造はコスト削減のため、中国で行われた。

全面下方に見えるスイッチ風のものは、それぞれレンズバリアの開閉と、ストロボのスイッチである。シャッターボタンの後方にあるのは、コマ数計だ。

日本で売られなかったこのカメラは、私が欧州で安い中古カメラを買ったときに、おまけでもらったものだ。ニコンにとっては最初の、オートフォーカス、自動露出の小型コンパクトカメラとはいっても、中古市場では値段が付かないカメラだったのであろう。
しかし、日本で持っている人は少ないにちがいない。


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(時間を見ながら、この頁を、少しずつ充実していきます)

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