26.

「殺さないで!お願い!殺さないで!」

真須美は顔の前に両手を上げ、後ろへ下がった。よろけて尻餅をついた中年のオバハンがまるで汚れなき少女のような瞳で懇願する。

「お願い!宅間さんなら・・・あたし恐くて。どうしていいか分からなかったの」

真須美は寸でのところで宅間さんなら信じられると思って≠ニいう言葉を呑み込んだ。
小学校で罪なき児童を連続殺傷した宅間を信じられる≠ニ言ったら嘘になる。まして犯罪者の自分が言っても説得力がない。夫の建治を騙すのとは勝手が違う。
これまで何人もの人々を欺いてきた真須美は、嘘をついて人を騙すことの難しさに初めて直面していた。
(このクソゲームの中で、こんな殺人鬼をどうやって騙せっての?)

宅間は黙って真須美が落とした銃を拾い上げ、銃口を真須美の眉間に向けた。

「な、何するの?宅間さん」

真須美は、宅間が振った包丁で軽傷を負った右腕を左腕で押さえながら、必死に弱々しさを演出する。

「朋子の― 金田朋子の死体は酷かった」

宅間は言った。言った後に目頭を押さえる。この言葉に真須美は狼狽したが、表情には微塵も出さない。

「あ、あ、あれは事故なのよ。朋子に会った時、朋子の方だったのよ。あたしを殺そうとしたの。そのピストルだってホントは朋子の― だから、あたし―」

宅間はコルト・ガバメントの撃鉄をガチッと起こす。

「やっぱりお前だったんだな。朋子を殺したのは」

真須美の目がすっと細まった。

「嵌めたわね」

真須美の善良な仮面≠ヘいとも簡単に剥がされた。

「俺は朋子をよく知っているつもりだ。朋子は―」

宅間はその後の言葉を飲み込んだ。同僚の看護婦を殺害し、ミンチ肉にした金田朋子が進んで人を殺すはずはない、とは断言出来なかった。真須美の言っていることが真実なのかも知れない。宅間は弁護士の苦労を思い知った。

(・・・朋子みたいな凶悪犯を弁護のしようがない・・・俺の弁護も)

しかし、ここは法廷ではない。それに朋子を殺したのが真須美であることは事実なのだ。
コイツを殺る― 宅間がトリガーを引こうとした瞬間、ふふふ、と真須美が笑う。

「私が殺ったって、よく分かったわね。誰に聞いたの?」

宅間は真須美に銃をポイントしたまま答えた。

「誰にも聞いてない。凶悪犯の勘ってやつかな。お前ならやる気になると思ったんでな」

真須美は話題を変える。

「宅間さん、死刑でも良かったんでしょ?確か、そう供述してたわよね?どう、その銃を私に返して。一発で楽に死なせてあげるわよ。絞首刑よりは楽だと思うけど。ここで私を殺してしまったら、後々どんな死に方をするか分からないわよ」

宅間は銃を構えた姿勢のまま動かない。

「駄目っか。そりゃそうよね。死刑は確実でも、助かるチャンスがあったら誰でもモノにしたいよね。結局、宅間さんはあの事件のことなんて、これっぽっちも反省してないじゃない」

「俺は死刑にはならない。たとえこのクソゲームの最中だろうと、お前の私刑≠ナは死なない」

宅間の頭の片隅には酒鬼薔薇が口にした『逃げ道』があった。精神障害を理由に、極刑は免れると確信して事件を起こした時と同様、宅間は逃げ道があると確信していた。真須美に対しても、銃を突き付けて、絶対的有利な状況にある。

真須美は宅間の目を覗き込むと、

「あらそう。だったら、どうして撃たないの?」と訊いた。

「私が非力な小学生じゃないから?自分より凶悪で抵抗力のある相手は殺さないの?」

凄まじい― 真須美の自信に満ちた表情に宅間は圧倒されていた。『醜女』というのはコイツのことに違いない。

「どうして、看護婦という人の命を助ける職業に就いていたお前が、このクソゲームに参加するような罪を犯したんだ?」

声がかすれているのが宅間自身にも分かった。

「ばっかねー。生死の境をさ迷う人達に携わっているからこそ、人の死に対しても無感覚になれるんじゃないの」

真須美は銃を突き付けられていることなど、頓着しない口調で続ける。

「そりゃあ看護婦は立派で、素敵な職業よ。たくさんの女性が忠実に職務をこなしてるわ。でもね、ある局面になると『死』というものに無感覚になったことが、悪い方向に働くことだってあるの― 私も、そしてアナタが最も尊敬する金田朋子も・・・ね」

真須美の不適な笑みを見つめながら、宅間は慄然としていた。自分自身も『人の死』に対して無感覚な精神異常者 ―だったはずだ。そうでなければ罪なき児童を何人も殺せはしない。
しかし、今、自分は金田朋子の死に対して、言い表せないほどの哀しみと絶望にある。

「俺は・・・自分が犯罪者であることを忘れている」

それは、この犯罪者バトル・ロワイアルでの明白な敗北を意味する。銃を突き付けて、どんなに有利な状況にあろうとも・・・。そして、安易に酒鬼薔薇の言葉を信頼していることも、もしかすると敗北を意味するのかも知れない。

宅間が何かを言おうとした瞬間、真須美の手から銀色の光が放たれた。
そこで真須美の手が背中に回っていたことに気付いたのだが、その時には宅間の右肩にナイフが深々と刺さっていた(それは、もともとは夫の建治が持っていた政府支給の武器だった)。

宅間は銃こそ放さなかったものの、呻き声を上げながら後ろへよろけた。真須美はその隙を逃さず、体を起こすと宅間の脇をすり抜けて、木々の間に素早く走り込んでいた。逃げる間際、宅間の背中に向って言った。

「私、悪い方向に忠実であろうと思っただけよ。どっちが楽だとか、苦しいとかじゃないの。ただ、そうしたいの」


 

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