| 大阪府 大阪市 |
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| 233 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 230形はわが国がはじめて量産した蒸気機関車である。 イギリスの機関車を模倣したものであり、量産規模も小さかったが蒸気機関車の輸入依存を断ち切ろうとして計画された蒸気機関車であった。 この233号機は関西と中国地方で近郊列車を引き、最後は入れ換え用などの後方業務に使用され、その性能は輸入機関車に劣らないものであった。1959年に廃車された後、原型に復元して展示している。(解説より) |
| 1801 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 明治14(1881)年、英国キットソン(Kitson)社製で、官設鉄道の京都〜大津間急勾配区間に用いる目的で造られた日本最初の勾配線区用蒸気機関車である。 設計者はイギリス人鉄道技師で、神戸工場汽車監察方のライト(B.F.Wright)。 本機を含めて同型機は8両あるが、多数の同系機が1906年まで官設鉄道をはじめとして全国の私設鉄道で増備され、明治中期における急勾配区間、小単位列車、入換用などの標準形機関車として広く用いられた。 旧鉄道院では形式1800の1801号となった。 |
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昭和4(1929)年、同型機1両とともに高知鉄道に譲渡されたが、昭和15(1940)年に東洋レーヨン(現・東レ)(株)大津工場に転じて、工場内の入換機関車として用いられた。 昭和39(1964)年、同社より旧国鉄に寄贈され、交通科学館(現・交通科学博物館)に保存された。 明治中期までの強力な急勾配用、短距離貨物用機関車の代表的存在であり、欧州のメーカー7社に同系機が分散製造されたとはいえ、各地で広く用いられた点では特筆すべき機関車といえよう。 昭和40(1965)年、旧国鉄の純鉄道記念物に指定された。 (解説より) |
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| 7105 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 義経号蒸気機関車 明治13(1880)年、米国ポーター(H.K.Porter)社製で、北海道最初の幹線鉄道であった幌内鉄道により、その1号機「義経」として、同型の2号機(「弁慶」)とともに輸入された。 同年の手宮(小樽)〜札幌間開業時に用いられ、翌年の明治天皇北海道行幸に際してはお召列車を牽引した。 比較的軽量で、軽構造の速成線路における使用に適した蒸気機関車であった。 のちに同型機6両が増備されて、全8両が北海道炭鉱鉄道に引き継がれたが、明治39(1906)年に国有化、旧鉄道院では形式7100となった。 義経号は北海道炭鉱鉄道の時代に固有名称が失われ、国有後は7105号となった。 対象12(1923)年、梅鉢鉄工所(大阪府堺市、のち定刻車両工業、東急車両製造となる)に譲渡され、タンク機関車に改造されて、構内 |
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入換機として用いられたが、昭和27(1952)年、鉄道80周年祈念事業の一環として旧国鉄に引き取られ、高取工場で動くことができる状態に復元された。 ただし炭水車はすでに失われていたのでまったくの新造となったが、水タンクの長さは錯誤があって原型よりも若干長い。 北海道における最初の蒸気機関車であり、初期の開拓鉄道用機の典型として記念すべき機関車である。 昭和38(1963)年、旧国鉄の準鉄道記念物に指定された。 (解説より) |
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| C1238 |
保存場所 : 共永興業南港物流加工基地SL展示館 (Map Code : 1095228*24 ) 各地に保存されている車輌を見てきたが、この機関車ほど美しく磨き上げられていた車輌は無かった。 |
| C57148 |
保存場所 : 共永興業株式会社SL展示館 (Map Code : 1311412*13 ) 各地に保存されている車輌を見てきたが、この機関車ほど美しく磨き上げられていた車輌は無かった。 |
| C5866 |
保存場所 : 大阪城公園 (Map Code : 1379274*04 ) 蒸気機関車は 明治5年 横浜−新橋間に鉄道が開設されて以来わが国の発展に大きな役割を果たしてまいりました 蒸気機関車C58は 昭和13年から同22年にかけて472両が生産されましたが その1両を このたび大阪築城400年まつりの開催と国鉄大阪城公園駅の開設 並びに近く迎える大阪市制100周年を記念して とくに日本国有鉄道のご理解と西野公庸・橋本太一郎両氏のご厚意によりご寄贈賜ったものであり ここに保存展示するものであります (解説より) |
| C6226 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 1948年、当時最大の貨物用蒸気機関車”D52形”を改造した高速旅客用蒸気機関車。東海道・山陽線の特急・急行など国鉄を代表する列車を引いた。しかし、電化の進展にともないその活躍の舞台は北海道へと移っていった。また、同形の機関車が、1954年に東海道線木曽川=岐阜間で、蒸気機関車として最高速度試験を行い、時速129キロという狭軌鉄道の世界記録を立てた。(解説より) |
| D512 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 昭和10年代、貨物が激しく増えつづけ、より強力な蒸気機関車が必要となって製造された大形の貨物用蒸気機関車である。長年つちかってきた知識と経験のすべてがそそがれ性能、実用性ともにすぐれた蒸気機関車となった。昭和10年代に1115両が製造され、昭和40年代ころまで全国で貨物輸送をになったが、やがて電気やディーゼル機関車と交代してすべて廃車された。製造両数、性能とも日本を代表する蒸気機関車であった。(解説より) |
| EF521 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 東海道線東京〜国府津間の電化に当たり、大正13(1924)年以降、欧米諸国から多数の電気機関車が輸入されたが、旧鉄道省はこれらの輸入機関車の使用実績を参考としながら、川崎造船所、汽車製造会社、芝浦製作所、三菱電機、日立製作所などの車両・電気メーカーと協力して、幹線鉄道における旅客用制式電気機関車の標準形設計を進め、昭和3(1928)年、形式EF52が7両完成した(昭和6年、さらに若干仕様の異なる2両を増備、のちのEF54形→EF14形)。 |
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電動機の制御方法は故障の少なかった電磁空気式単位スイッチ方式を採用し、この部分を含めて米国ウエスティングハウス(Westinghouse)社の方式が多く採用されて、その後の鉄道省制式電気機関車の設計に長く踏襲された。 極力国産品の採用に努め、国内電気機械技術面での向上をはかったことも特筆される。 制御器のノッチ数が多く、定格速度が旅客用としては低すぎるという批判もあって同形機は少なく、これに続く戦前での制式電気機関車設計では、同一出力でも歯車比を変えて旅客用と貨物用を分けている。 本機は日立製作所の製品であり、第二次大戦後は中央線、次いで阪和線に転じ、昭和48(1973)年用途廃止された後、交通科学館(現・交通科学博物館)に保存された。 最初の幹線旅客用標準型電気機関車として日本の電気鉄道技術発達史上、記念すべき機関車である。 昭和53(1978)年、旧国鉄の純鉄道記念物に指定された。 (解説より) |
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| DD13638 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 1958年から、蒸気機関車が果たしていた操車場や駅構内での入れ換え作業に、製造されたディーゼル機関車である。すぐれた性能を示したので10年間で416両が製造された。動力装置を2セットにわけて小型化し、信頼性を高めている。この方式は国鉄のディーゼル機関車の標準形となった。(解説より) |
| DD5433 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) DD54は、中型機関車で主に山陰・福知山線で運転されました。液体式とは、エンジンの回転力を液体変速機で車軸に伝えるしくみで、機関車を軽く安価に作れます。この機関車が作られた頃、すでに大形・小型機関車ともに国産化が成しとげられていましたが、なお、外国の優秀な技術を学ぶためにこの機関車が作られました。 西ドイツの技術を使って、1台の高出力軽量エンジンと変速機で走るなど、他の機関車と異なる技術が多く使われました。(解説より) |
| DF5018 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 昭和30年代からサービスと能率を高めるために、電化とディーゼル化を進めました。DF50は、この目的のために外国技術のエンジンを使って作られた、最初の量産大形機関車で、北海道を除いた全国で運転されました。走るしくみは、エンジンで発電機を回し、その電気でモーターを回して走る電気式で、この方式は車体が重くなり高価ですが作りやすいので採用されました。その後、技術が進んですぐれた液体変速機が作られるようになり、電気式は使われなくなりました。(解説より) |
| 16−1 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) 0系新幹線電車 第1号車 1964(昭和39)年10月1日、世界中の注目をあび、東海道新幹線は開通された。 軌間(2本のレールの幅)を在来線(1,067mm)より広く1,435mmとしたり、全線を盛土、高架にして踏切をなくしたり、従来の鉄道を一新するものであった。 新幹線はその後さらに全国に路線を広げ、「安全、高速、大量輸送」運転につとめ、日本の基幹交通として大きな影響と役割を果たしている。 0系新幹線電車の最高速度210km/hは、当時世界一の営業速度であり、「SHINKANSEN」という言葉がそのまま各国で用いられるほど、世界中から注目され、高速鉄道のさきがけとなった。 ここに保存展示する0系新幹線電車4両は、開通当初のそれぞれの1号車で、1978(昭和53)年3月の引退までに約600万キロメートルを走行している MC21−1 制御電動車(先頭車) M’S16−1 中間電動車(グリーン車) MB35−1 食堂中間電動車(ビュッフェ M’C22−1 制御電動車(先頭車) 鉄道記念物 0系新幹線車輛(21−1、16−1、35−1、22−1) 昭和39(1964)年に開業した東海道新幹線は、当時世界最速の210km/hでの営業運転を実現し、世界高速鉄道のさきがけとなった。 東海道線の輸送力増強のために在来線とは別線で建設され、また、高速走行を目的として、従来の狭軌(1,067mm)ではなく標準軌(1,435mm)が採用された。 更に、高速運転に対応した架線■■■な信号システムの採用、道路との完全立体交差など、従来の鉄道技術・仕組みを一新するものであった。 0系新幹線車両は、「新幹線」という高度な鉄道システムの原点であり、また第二次世界大戦後の日本の高度経済成長の源でもある。 昭和47(1972)年3月に新大阪〜岡山間、昭和50(1975)年3月には岡山〜博多間が開業し、東海道山陽新幹線■■■0系新幹線車両はこの輸送を担うため、昭和61(1986)年までに合計3216両が製造された。 その後、100系の開発、導入により、平成11(1999)年9月には東海道新幹線から引退し、平成20(2008)年11月には山陽新幹線からも引退することとなった。 この車両は開業当時の各形式のトップナンバーを付した4両であり、約600万kmを走行した後、昭和53(1978)年に引退し、その後は当館で保存・展示されている。 平成19(2007)年8月には社団法人日本機械学会の機械■■■た。 (解説より) |
| 21−1 |
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| 22−1 |
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| 35−1 |
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| モハ80001 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| クハ86001 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| 大阪市 3042 |
保存場所 : 森之宮検車場 (Map Code : 1379082*62 ) |
| 大阪市 5058 |
保存場所 : 森之宮検車場 (Map Code : 1379082*62 ) |
| 大阪市 6014 |
保存場所 : 森之宮検車場 (Map Code : 1379082*62 ) |
| キハ813 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| スハシ38102 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| ナロネフ591 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| ナシ2024 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |
| 大阪市 801 |
保存場所 : 森之宮検車場 (Map Code : 1379082*62 ) 801型は昭和7年木造大型ボギー車1001型の電装品及び台車を利用して車体を鋼体化、小型ボギー化したもので、思索的な要素が強く、それまでの市電のスタイルの常識を打ち破る画期的な左右非対称の窓配置を採用、車体中央には両開きの1500mm幅の扉に、はじめて自動開閉装置を取り付けました。 また、車体外観もスマートで両端を絞った特異なスタイルは戦時中に作られた海軍の水雷艇に似ていることから、水雷形電車と呼ばれ市民に親しまれました。この801号は大正10年1052号として竣工、昭和7年に田中車両で鋼体化され、804号に改番、昭和24年2代目の801号に改番されました。 戦後は春日出車庫に所属していましたが、昭和38年5月に休車、昭和39年3月20日付けで廃車となりました。 その後も保管され続け、現在、市電ゆかりの当工場に、保存されています。 (解説より) |
| 大阪市 2201 |
保存場所 : 森之宮検車場 (Map Code : 1379082*62 ) 2201型は大阪市電近代化の第一弾として昭和29年11両が登場、近代的なスタイルは昭和31年に登場した3001型に引き継がれました。 また騒音や振動を少なくするため台車は住友製のFS-57型に弾性車輪を採用して乗り心地のの向上をはかりました。 新造時は間接制御式でしたが昭和34年直接制御式に改造されました。 昭和40年になり経費の節減をはかるため大阪市では初めてワンマンカーを港車庫前−都島車庫前間に走らせることになり、2201型は全車がワンマンカーに改造されその任にあたっていましたが、年々悪くなる道路事情で路面電車は交通機関としての責任をはたせなくなり昭和43年5月の港車庫前−京阪東口間の廃止と共に休車となり市電の全廃せまる昭和44年3月29日をもって全車が廃車となりました。 この2201型はワンマンカーの代表として当工場に保存されています。 (解説より) |
| 大阪市 3044 |
保存場所 : 中かがや幼稚園 (Map Code : 1102624*84 ) |
| ML−500 |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) リニアモーターカー・マグレブ ”ML500” 「リニアモーターカー・マグレブ」は、磁気で浮いて走る、振動や騒音が少ない、未来の超高速鉄道である。 この”ML500”は1978(昭和54)年、宮崎浮上式鉄道実験センターで時速517キロを記録し、時速500キロの超特急「リニア・エクスプレス」が夢でないことを示した。 このテストが成功したので、続いて”MLU001"がつくられ、実際に人を乗せた実験を行うなど、リニア新幹線に向けて研究がすすめられている。 (解説より) |
| サンフランシスコ ケーブルカー |
保存場所 : 交通科学博物館 (Map Code : 1280894*16 ) |